紅茶がイギリス発祥じゃないってご存知でしたか?

こんにちは! 中国茶講師の「しーよん」2回目の登場です。 あと5日後に迫りました、第二回SCBつながるお茶会。 「待ってました!」のお声を沢山頂き、もしかしたら5人娘以上に私が張り切っているかも(笑)。

 

 

前置きはこのくらいにして、 今回は「お茶会に向けての予習」がてらのお話をさせて頂きますね。 今回は落語とコラボするお茶会ですので、お茶の歴史、日本のお茶と中国茶と紅茶の違い、前回のお茶会で試飲して頂きました「烏龍茶」の復習・・・と、お話したいことは沢山あります。

 

 お茶好きさんには続きが聞きたくなる、いや、そもそもお茶の楽しみって、「お茶を味わうこと」ですから、コラムで予習したあと、お茶を味わって頂くとカンペキかと(笑)。 話を聞いたり読んだりするとイメージが沸きますので、「どんな味なんだろう?」とお茶に対する興味も倍増です(ここは敢えての断言!)。イメージが膨らんだあとのお茶の味は、ずばり「飲めば分かります!」。五感を使ってお茶を味わうことって大切ですね。 お茶の歴史を知って、それを理解した後にお茶を味わえば、楽しさと美味しさが全然違ってきますよ。

 

と、前置きからーの、前置きが重なってしまいましたが、今回は「中国紅茶」を扱ってみようかと思っています。 私、中国茶講師として活動するようになって約10年経ちますが、今でもよく言われます「中国に紅茶ですか?」と。 

 

 

 

 

ヨーロッパの大航海時代に始まって、産業革命、そして世界各地での植民地政策・・・という時代以前まで、「茶」は日本などの一部の地域を除いて、ほぼ中国の独壇場でした。 写真のようなブランドが登場するのはもっともっと後の時代になってから。

 

 

最初にお茶を飲んだのはポルトガル人だと伝わっていますけど、彼らが飲んだのは緑茶でした。 皆さんが思い描く「イギリスのアフタヌーンティー」でイギリス人が飲んでいたのは、インドやスリランカの紅茶ですから、これは歴史的には随分あとになってから、の話です。 それまではお茶はほぼ中国からの輸入に頼っていました。 その貿易も現代のように対等なものではなく、大清帝国への朝貢、という形式だったそうですし、当時のアジアはとても豊かな国でしたから、イギリス人が提供できる商材は中国人にとっては、ほぼ不要なものだったのです。ですから、お茶の貿易はとても不平等なもので、お茶の対価として支払われていたのは「銀」でしたから、イギリスの財政はお茶のせいで破たん寸前に追い込まれます

そこで、イギリスは自分たちの国から流出した銀を取り戻そうと考え始めるわけですが、上記のとおり、豊かな中国にはイギリスからの物資は不要です。 

 

そこで、イギリスがどういう方法を取ったか。イギリス東インド会社を通じて、アヘンを中国国内に持ち込みました。

 

 

 そして、グッと端折りますが、その結果・・・。 皆さんも歴史の授業で学んだ記憶があると思います。「アヘン戦争」勃発からの混乱の歴史となるのです。

インドやスリランカでの紅茶の栽培と製造が始まったのは、実はその後なんですね。

300年くらいの歴史を一言で喋ってしまいましたので、かなり無理やり感がありますが、「紅茶」もイギリス発祥ではなく、中国発祥であるということが伝われば幸いです。

 

お茶会前にあと1回程度登場出来ればと思っていますので、中国茶女子同様にご愛顧くださいませ。

それでは、再見!

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